中絶の体験談

サイトに寄せて頂いた中絶の体験談を、こちらに掲載させて頂きたいと思います。
是非一度お読み下さい。

みあさん (10代女性)より

私は胃を壊してしまい病院に行って胃カメラをしました。
慢性胃炎と診断されました。
2週間薬を飲み続けると体調は良くなりました。
私は元々生理不順で1、2ヶ月生理が遅れる事が多くこの時も気にしていませんでした。
普通に生活していても体のだるさ、吐き気がして検査薬をすると陽性。
私はすぐ病院で検査してもらいました。もう11週になっていました。
薬と胃カメラの事を相談すると障害を持って産まれる確率が非常に高いと言われました。
まだ19歳の私と20歳の彼。障害を持って産まれた子を育てる自信がなく中絶しました。
11週なので時間がないと言われ2日後に手術。
妊娠がわかって1週間もたたない間に我が子とさよならしました。
薬さえ飲んでいなければ...と後悔と罪悪感でいっぱいです。
もし中絶を考えてる方がいたらもう一度考え直して下さい

あづささん (10代女性)より

私が中絶をしたのは中学2年生の冬です。
その時の私は家に帰らず遊んでばかりでした。
そんな時8こ上の彼と出会い付き合いました。
付き合って7ヶ月がたった頃生理が来なくなりました。
正直なんとなく分かっていました避妊もせずにしていたからです。
彼と相談し私は産みたいと言う安易な答えを出しました。
母親に彼と話しをしに行きました
母親には謝られ
叱られ否定をされました。
私の幸せを考えたらいいと言う答えは出せない
と言われました。
それから考えの甘い私は5ヶ月までひっぱり結局卸す事になりました。
5ヶ月という事もありおろす病院も見付からず自分の産まれた市民病院で手術をする事になりました
もう赤ちゃんが成長しており麻酔を使えないという事でお産と一緒の形で薬で陣痛を起こす事になりました
入院し薬を入れられるまでに3日入れてすぐはすいがおきすぐ手術が始まりました
分勉室で不安になりながら彼に付き添ってもらい分娩しました。
赤ちゃんをみしてもらった時は二人崩れて泣きました。おしゃぶりや粉ミルクおはななどをそえてあげましたそして明日火葬ね。と告げられ消灯時間になり私はは自分の最低さ申し訳なさ不安に襲われ病院を飛び出し母親に泣きながら電話をしました。
その日は病院に許可をいただき母親に付き添われ眠りました。
それから退院し自分を見つめ直し学校に行きました
家をでて夜遊びをするのも辞め就職を決めました
今はその時の彼とはまだ続いており母親とも仲良くできています。
あの事があり命の大切さをやっと分かりました。
中絶は自分も苦しみますが赤ちゃんはもっともっともっと苦しみます。
簡単に作れますができてからが大変です
育てられないなら避妊は必ずするべきだと思います
今あなたはここにいますがもし中絶されていたらどうなっていますか?
中絶は立派な殺人です
自分達の快楽や安易な気持ちで命を簡単に作ったり亡くしたりそんな事してはいけません。
自分達の行動一つで人一人の命失われる事になります
命がそんなに簡単に扱われる事があってはならないと思います。
反面教師ですが皆さんにはそんな最低な事はしてほしくありません。

清華さん (10代女性)より

私は今日中絶手術を受けました。
産むつもりで両親にも了解を貰いましたが、彼の両親が経済的な余裕が無いだろう。と言い反対、産みたいと思っていたまま手術になりました。

9週過ぎた辺りでした。
前日に子宮を広げる物が入らず、凄く痛んだあげく似た様な違う物(子宮を広げる作用が殆ど無い物)を入れてもらい帰宅しました。
その日薬を飲みましたが、『今ならまだ間に合うんじゃないか?逃げ出したい。怖い』という気持ちでいっぱいになり朝方何度も彼を起こし、泣き付きました。
彼も泣いていました。

朝、母と彼に病院まで着いて来て貰ったのですが、沢山の妊婦さんを見て凄く悲しくなりました。
手術をする前注射を撃ち、点滴をしてベットで待っていました。
大部屋だったので産後のお祝いの声が辛かった。
手術室へ行き点滴に麻酔を打たれ凄く眠くなりました。

しかし手術中は痛さと悲しさと怖さでいっぱいになり何度も看護婦さんの手を握り暴れていました。
暴れると危ないよ、もう少しだよ、痛いね、と看護婦さんが声を掛けてくれました。
何より器具の音がずっと聞こえていて少しもうろうとした意識の中で赤ちゃんの大声で泣く声が聞こえました。
どうしようもない痛みと怖さの中手術が終わりすぐに吐きました。
寒かったのでタオルケットを掛けてくれていました。
お腹が凄く痛かった。
看護婦さんに支えられながらベットに戻りモウロウとした意識の中、母と彼が待っていてくれていました。
意識がはっきりし、終わったんだと、思い診察までゆっくりしていましたが、内診でエコーを見た瞬間涙がボロボロと出て来ました。

『赤ちゃんが居ない...私が絶たしてしまった。』先生が一週間後に来て下さいと説明してくれていた時間も家に帰るまでの時間、帰った後もこれを投票している今も涙が止まりません。
お金に余裕が無くても産む事は可能だったと思うと後悔がいっぱいです。
空を見るのが辛いです。二度と会えなくしたのは私なんだと思います。
この子の事は死んでも忘れません。
セックスをするのも怖くなりました。
もし、今不安や何らかの理由で産む事に戸惑いを持っているなら、中絶は想像以上の痛みと悔やみ切れない程悲しいものなんだという事を知っていて下さい。
少し反対されたから、と命を絶たせる事はお勧めしません。
母親なら強く守っていって下さい。
私が身を持って体験したものは計り知れない悲しみでした。
後には何も残りません。
二度と中絶という選択はしないとここに誓います。

そして私の赤ちゃん、天国で待っていて下さい。
あの痛みより痛かったんだね、と思うと本当に辛いです。
ごめんね。もうあんな思いはさせません。

なふなふさん (20代女性)より

私は18歳の時にさよならをしました。
当時まだ付き合ったばかりの3つ上の男性と2回性行為をしました。
生理が遅れ電車で気持ち悪くなり始めて自分がお母さんになった事を確認しました。

彼はすぐ降ろせといいました。
まだ付き合いも浅く彼にとって私は都合のいい女でした。
母は泣きながら病院に向かえに行くから。
と中絶を勧めました。
病院に朝9時健診し順調でした。
でも先生はすごく冷たくもうこんな事しなで下さいね。といわれました。
私だって・・・・
と思いましたが今産んであげる自信がなくまだ高校生の私はそれを言う資格はありませんただのだだをこねる子供と変わりませんでした。
すぐに麻酔をされ10数える間に意識はなくなりました。

目が覚めた時お腹に鋭い痛みを感じました。
泣き叫ぶ程の痛み。
すぐに看護婦さんが駆けつけ私にずっと付いててくれました。
私は看護婦さんに帰っていいよと言われ首を振ってました。
看護婦さんにどうしたの?と聞かれ私は
「エコー写真いただけませんか?」と言っていました。
看護婦さんは最初はそんな事しても意味がないとくれませんでした。
でも私が帰ろうと思った時看護婦さんは一枚のエコー写真をくれました。
それは中絶寸前のわが子でした。まだ2ヶ月半のちいさなわが子・・・・

涙が止まらず写真を抱きしめておお泣きしてました。
母はまた戻ってきてくれるからそしたら元気に健康に産んであげようね?と優しい言葉を掛けてくれました。

今は私は23歳になりました。
結婚を考えている男性と今は同棲3年になります。
子作りしてもなかなか授かりません・・・。
あの子が戻ってきたくないのでしょうか?
と毎日悩みます。

彼は私の過去を受け止めてくれています。
私はいつでも産んであげるよ。
準備が出来たらママのところへ来てね。
ずっとあなたを待っています。
愛する2ヶ月のわが子へ・・・
エコー写真は今でも大切に供養をしています。

不妊さん (30代女性)より

はじめまして。
私は今まで2回の中絶の経験があります。

一回目は中学3年の春休みです。
当時付き合っていた同級生の彼との妊娠でした。

本当にお互いまだまだ子供で、赤ちゃんを授かる意味さえわかりませんでしたが、
彼はとても優しく産んで欲しいと言ってくれました。
しかし、私はどこか冷静でこの先の自分の事の方が大切で迷うことなく中絶しました。
お金の面でどうしても親に相談しなければ用意なんてできない年齢ですが、
彼は自分が用意すると、中絶すると決めた私に手術前日に何も言わずに持ってきてくれました。
お互いの両親にはばれずに中絶することになりました。
自分達がまだまだ子供で親に甘えたい年頃の私達には精神的に片付けられない出来事でした。

赤ちゃんを犠牲にして、晴れて高校生になった私は、まだそのことを精神的にどう片付けていいのか、わからずに複数の男性と関係を持つようになり、私はその彼の存在がめんどくさくなり、別れることになりました。

しばらくして私は社会人となりましたが、相変わらず、特定の彼氏は作らずに複数の男性と関係を持つ状態が続いていました。
そんな中、ナンパされて、出会ったバツイチの彼と付き合うことになりました。
最初は素性も知らない相手ではあったのですが、会うにつれて私はどんどん惹かれていってしまってついに同棲することになりました。
そんな中、彼の仕事は暴力団関係で、彼は薬物も使用していることがわかりました。
しかし、私はどっぷりと彼に落ちていたので、別れを選ぶより、彼を更生させて、彼との幸せの生活のため自分の全てを彼のために使いました。
また、そんな彼の子供が欲しいとさえ思うようになりました。
そして、5年の月日が流れて、私が23歳の時妊娠しました。
私は「産む」と決めていました。
中学3年の頃中絶したのは、まだまだ自分達は子供で働くこともできないから、赤ちゃんを育てることもできないから仕方なく中絶したのだといつの間にかずっと自分に言い聞かせてそこまで来ていました。
だからこそ、社会人になった今は例え、旦那さんになる人がどんな人でも私が働いて育てていけるから、と産む気持ちでした。

しかし。その頃すでに彼は薬物中毒となっており、昼夜逆転、幻聴・幻覚ととても人間の生活状態ではなくなっていました。
私の思いは5年間変わることなくこの人を更生させて、2人で幸せになるんだ。
ということでしたが、今冷静に考えてみると、常に家の中には薬物が転がっていて、
もちろん私まで薬物に手を出すことはなかったのですが、そんな中では私も吸引しているのと同じことだと周囲からは中絶するよう説得されるようになっていました。

しかし、ギリギリまで決心が付きませんでした。
これで中絶したら、前回の中絶から言い聞かせていた理由の意味がなくなる。
これから、どう自分に言い聞かせて生きていけばいいのかわからなくなる。


もちろん赤ちゃんを抱きたいという気持ちが一番大きかったのですが、それは妊娠がわかった時点でその気持ちには蓋をしていました。
その気持ちに蓋をしなければ、この先色んな判断が冷静にできないと思ったからでした。
それは今考えるとこの人との赤ちゃんは産めないかもしれないとわかっていたのでしょうね。

中学生の頃さえも相談しなかったのですが、
ギリギリで自分の両親に相談することにしました。彼と両親も会いました。
結果、母は泣きながら「中絶」を勧めましたが、父はしばらく経ってから、「産む」ことに賛成してくれました。
「俺がその子の父親になってやるから、安心して産みなさい」
と言ってくれました。
この言葉が、中絶を決意することになりました。
その時初めて、「私は今まで、この彼の子供が欲しいと思っていたけど、愛している人の子供が産めないような人と付き合っていたんだ」と初めて気づいた瞬間でした。
長い夢から覚めた瞬間でした。
二回目の中絶をしました。
もうすぐで4ヶ月終わりくらいだったと思います。
産婦人科の先生にも注意を受け、中絶しました。
その後、その彼としばらく同棲していましたが、薬物中毒がひどくなり、私から警察へ行き、彼は刑務所へ入ることになりました。
私と彼との関係もそこで終わりました。

現在、結婚して6年目になるのですが、
主人は精子減少症で不妊治療中です。
もちろん彼に責任はないですが、
私はこの今の状況に置かれたことに感慨深く思っております。

自然に妊娠するんだったら、授かりものとしてありあがたく受け止めますが、
自分の勝手で2回も中絶して、今度は欲しくなったから、体外受精までして作ろうとしている自分にこれでいいのか問いかける毎日です。
最初の中絶から20年近く経とうとしています。
中絶したことに対して精神的に片付けられないのは今も変わりません。
成長できないのです。
20年間ずっと変わらず、自問自答です。答えはでませんが。
それはこれからの人生ずっと持っていくものだと思っております。

今私は、子供が欲しいなんて口に出して言えません。
でも、私が一番欲しいと思っているんだと思います。

こんな自分が嫌になり、
でも、主人や主人の家族が楽しみにしている、子供を授かるためと自分勝手に言い聞かせて不妊治療を続けている毎日です。

せぃちゃん さん (20代女性)より

私は3人の子供を持つシングルマザーです。
おととい4人目を中絶しました。
理由は2人目3人目は帝王切開しており3人目は今年3月に産まれたばかりで1年たたない帝王切開は危険と言う理由・・・もう1つは経済的理由。
3人共父親が違う子供達。
しかし1人でも産んで育てたい!!と言う気持ちで今まで出産しましたが・・・養育費等はナシ。
現実は簡単な物ではありません。でも子供は可愛いい。
この子を中絶してしまった事を今後悔してます。
もしかしたら産んであげれたかも知れない・・・今中絶を考えている方。
もう1度考えて下さい。
中絶すればその子はもう返ってこないのです。
出来れば産める様に・・・最後に蒼空【そら】ごめんね。

なら子さん (20代女性)より

大学4年生のときです。 大学1年生の頃から付き合っていた人との間に赤ちゃんができました。

生理は普段からやや不規則だったので遅れている事などあまり気にしていませんでした。
ただ、2週間前から兆候があったのを後から思い出しました。
普段電車に酔わないのですが軽く気分が悪くなりました。
吐き気まではいかないものの食欲がありませんでした。
私の場合、食べ物ではなくトイレの匂いや、人の汗の匂い、靴箱や電車の冷房の匂いで少し吐き気がしました。
なぜか全身がだるくて母親と買い物に行っているのにずっとベンチに座っていたこともありました。
胸がはったり、下腹部がはったり、生理が来そうでこない感じが続いてました。

ある日、友達に指摘され検査薬を購入しました。
あっという間に陽性反応が出ました。
間違えではないかと別の検査薬で再検査するとやはり陽性でした。

病院に行くと3ヶ月目だといわれました。
写真を渡され、このときは驚きと嬉しさ、焦りという気持ちがありました。
もう3ヶ月目入るので産むかどうするのか1週間以内に決めなさいと言われました。

相手に話したところすぐに堕ろしてくださいと言われました。
相手も大学4回生で生まれる頃にはお互い卒業もしているのでなんとかならないかお願いしてもダメでした。
お金が全くないからです。
泣いてお願いしても頑として返事はノーでした。

説得されて2人で病院に行き、1週間後に手術が決定しました。
決めてから1週間何度も何とか産めないか相談しても答えは同じで最終的には私も疲れてしまいあきらめました。
自分を無理やり納得させました。

手術は軽い全身麻酔と局所麻酔で行われました。
頭はぼーっとしていますが意識はハッキリありました。
手術自体は10分もないくらいですが麻酔が効いていないのか手術中ずっとかなりの痛みがあって看護婦さんが手を握ってくれました。

相手もずっと病院で待ってくれていました。
手術後、相手は私を心配してくれていたのかもしれませんが私には赤ちゃんを堕ろすのを見届けてほっとしている風に見えました。
ほんとうに好きな人で今まで約3年間、いろんな事を一緒に乗り越えてきましたがしたがもう一緒にいるのは無理だと思いました。

赤ちゃんにはほんとうにほんとうに申し訳ないことをしてしまいました。
相手が赤ちゃんの事忘れても私は一生忘れません。
私にとって初めての赤ちゃんはあなただけです。
守りきれなくてほんとうにごめんなさい。

あおいさん (20代女性)より

中絶したのは21歳の春でした。その時彼とは不倫関係。

無防備なセックスをしての妊娠。
外に出せば大丈夫、そんな簡単に妊娠しないよ‥。

あまりにも簡単に考えすぎていました。

生理が来ない‥不安で頭の中はいっぱいになりました。
妊娠検査薬を使ってみたら‥陽性。

彼に泣きながら電話すると、「堕ろしてくれ」と一言。

病院へ行き、エコー写真を見せられ、同意書にサインをし手術。
あの時の事は全て5年経った今でもはっきりと覚えています。
後悔の念で今でも涙が溢れてきます。

もしもあの時‥。

そんな思いを他の人にしてほしくありません。

くろねこさん (20代女性)より

わたしはちょうど一年前中絶手術をうけました。
当時は19歳で大学一年生でした。そのとき付き合っていた彼氏は2つ下の高校生でした。
彼は学校やめて働くから産んでくれといってくれましたが、母親は猛反対、高校生に育てていけるわけがないということでした。
わたしも大学生活があるし、でも生んで育ててあげたいと、このまま赤ちゃんを死なせたくないという気持ちでいっぱいでした。

しかし、生まれてくる赤ちゃんは幸せなのだろうかと考えたとき自信を持って幸せにできる保障がなかった私たちは中絶を決意しました。

手術は麻酔科の先生が担当してくださったので無事終わりましたが、いままでおなかにいた赤ちゃんがいなくなったというなんともいえない喪失感があふれてきて胸がいっぱいになりました。
そのまま出産を決意していたらいまごろ生まれていたであろう赤ちゃん…もうこんな体験はしたくありません。不安と恐怖でいっぱいになります。

当時の彼とは別れました。手術のときはやさしくしてくれましたが、時間がたったらもう気にしていないような態度でした。
私は忘れられずにいるのに…結局傷ついてしまうのは女性のほうだと思います。なので避妊は本当に大切なことだと理解していただければ、こんなつらい思いをすることがないのではないかと思います。

つぎ妊娠するときは自分の意思でおめでとうといえる妊娠をしたいと思っています。

rininheavenさん (30代女性)より

8月14日、病院に行ってきました。10週の6日目。日帰りで施術できるぎりぎり最後の日でした。

前日はほとんど寝れなくて、家を出る時、車で病院にむかってる時、帰る時にはこの子はもういなくなってるなんて、何だか信じられなかった。

8時10分過ぎ。彼と一緒に病院についた。8時45分に来てくださいって言われてたけど、随分早く着いちゃった。受付を済ませ、血圧を測って彼と一緒にロビーに座って待ってた。

しばらくすると、看護婦さんに呼ばれて、別室で彼と施術の説明を受けた。

初めは事務的に説明していた看護婦さんだったけど、説明を受けている間に泣きそうになった私を見て、ティッシュをとってくれ、不安だったら手も握ってるし、今日はずっと側にいるから大丈夫よって言ってくれた。

その後、彼と別れて、担当の先生のところにいき、ラミナリアを入れた。痛みと情けなさで泣きそうになっていたら看護婦さんは、私の手をずっと握っててくれた。エコーの画面を隠すようにして立って。大丈夫よって言いながら。

その後手術室の隣にある部屋に行って、着替えて横になってた。その時も看護婦さんはその後の説明をしながら、その病院では1日に3人施術をするのが精一杯なこと、それでも予約はすぐに一杯になってしまうこと、いろんな事情があって諦める人がいるけれど、そんなに泣いてしまうなら、後で後悔するからやめなさいって言われた。せっかく私たちのところに降りてきてくれたのに、守れなくてつらいって言ったら、決めたのなら、その子のためにも前向きに生きなさいって言われた。

赤ちゃんは絶対、お母さんには笑ってて欲しいと思ってるはずだからって。自分が赤ちゃんだったら、天国に帰っていく意味が欲しいから充実した生き方をしなさいって。そして今度受け入れる準備が出来た時に産んであげればいいからって。私がまた泣き出したら、ずっと手を握っててくれた。

バイブにしていればメールはしても構わないという説明は受けていたので、彼からすぐにメールがきた。側にいるからねっていう言葉がすごく心強かった。

昨日眠れなかったせいか、横になっている内に携帯を握り締めたままうとうとしたりして、気がついたら13時半になっていた。

看護婦さんがきて、施術前の静脈点滴と、麻酔中唾液を減らすための筋肉注射をした。筋肉注射をした時、「今日一番のメインイベント終りよ。これが今日一番痛いやつだからね。」と言われた。

 あぁ、そうなんだ。そんなにあっけないものなのか。

って思ってた。点滴をして30分ぐらいしたら、看護婦さんが内線で先生を呼んでる会話が聞こえた。外来の準備が出来ましたって。

 じゃあ始めましょう。下着を外して手術室まで歩ける?

って言われて、看護婦さんに点滴を持ってもらって、カーテン越しの隣の手術室まで移動した。言われた通り手術台に上がり、両足を台にのせ手足を固定すると、先生が

 ちょっとちくっとしますよ。ちょっとだけ。

と、言っているとすぐに点滴をしている腕に痛みが走った。点滴に麻酔を入れたんだろう。

その後はすぐにひどい痛みと吐き気、全身が転がされてひどい酔いがきたようだった。頭ががんがんする。体がぐるぐる回る。気持ち悪い。助けて。嫌だ、嫌だ、嫌だ・・・

今までに経験したことのないようなひどい気持ち悪さだった。耐えれない、もうだめ・・・と思っている内に意識がなくなったんだと思う。

次に気がついたのは、朦朧とした意識の中で、遠くで誰かがうめいて叫んでるのが聞こえた。誰だろう。看護婦さんが遠くで何かしゃべってる。誰と話してるんだろう。頭がグラグラ、がんがんする。誰がうめいてるんだろう。お腹が物凄く痛い、吐き気がする。寒いよ・・・

朦朧とした意識の中を行ったり来たりしてたんだと思う。段々、看護婦さんが私に一生懸命話かけてるんだと気がついた。うめいてるのも、泣き叫んでるでるのも、おぼろげに私だと気がついた。何となく、自分がいつの間にかベットに戻っているらしいことにも気がついた。それでも、うめくのも泣き叫ぶのも止められなかった。自分だと気がついた後も、どこか遠くで誰かが泣き叫んでるようだった。

目を開けなさいと、看護婦さんに言われても出来なかった。吐きなさいと言われても出来なかった。

おぼろげに、看護婦さんが片手を私に握らせてくれて、もう片手で私のお腹を擦ってくれているのが分かった。寒いと言った私に、布団をもう一枚かけてくれた。

それでも、うめいて泣き叫ぶのをやめられなかった。嫌だ、嫌だ、助けてって泣きながら、ずっと看護婦さんの手をきつく握り締めてた。

そのうち痛みは残っていたけど、やっと目を開けることができ、吐くこともできるようになった。やっぱりベットに戻っていて、いつの間にか下着もつけていた。

泣きながら迷惑かけてごめんなさいって言ったら、そんなこと気にしなくていいからって言われた。

多分麻酔がまだ残っていたんだろう。

しばらくすると、また意識がなくなって、気がついたら痛みは大分引いていた。痛みは残っているけれど、胸やお腹のはりはなくなってた。妊娠していた時の気分の悪さも。お腹の子がいなくなったんだって分かった。私が泣き叫んでいるうちに、あの子は逝ってしまったんだ。それが何だか心苦しかった。

しばらくして落ち着くと、ふらふらした体を看護婦さんに支えてもらいながら、もう一度手術台にのって先生の検診を受けお腹に入れていたガーゼをとってもらった。

看護婦さんが抗生物質の説明と、1週間後の検診の説明をしてくれた。

迎えが来たら、もう帰ってもいいよと言われ、他に人がいないから、ここで電話してもいいわよって言ってくれたので、彼の携帯に電話した。きっと抑揚のない声をしていたんだろうな。

彼が来るまで横になってた。着替えるとき、胸もお腹もきつくなくなっていた。脱いだ時はスカートもブラもきつかったのに。

帰る時、看護婦さんに男の子か女の子か、分かりませんか?って聞いたら、残念だけどまだ分からなかったわって言われ た。でも、次に準備が出来て妊娠するときは、きっとその子が戻ってくるから大丈夫よって言われてまた涙が出てきた。

16時半ごろ、彼がついたので、看護婦さんにお礼を言って別れロビーに行くと彼が入り口近くの椅子にちょこんと座っていた。

帰る途中、コンビニによってポカリを買ってもらった。朝から何も飲んでなかったけど、のどの渇きも、空腹感もなかったけど、ちょっと飲んだポカリは体に染み込んでいくようだった。

タバコを吸っても、今までみたいな気分の悪さはなくなっていた。歩いている間は大丈夫だった体は、車のゆれからか、途中から生理痛のような痛みがでてきた。

やっと部屋に戻って、ソファに横になると、彼はずっと側にいてくれた。途中うとうとしたときも、目が覚めると彼がいて、それがとても安心できた。うとうとしてるときは夢もみなかった。

今朝、目が覚めるといつものお腹の重さがなかった。午後から仕事に行った。制服のスカートもきつくて胸の下あたりではいてたのに、すんなりと普通にはけた。むかつきもなくなっていた。喫煙室に行っても、気分悪くならなかった。気持ち悪いのを抑えるためにあんなに食べていた梅しばも食べたいと思わなくなった。

当たり前かも知れないけど妊娠していた頃の兆候の何もかもがなくなっていた。あぁ、いなくなちゃったんだってふとした瞬間に何度も感じた。

いなくなってしまってから、改めて彼との子を産みたかったって思った。彼と私の子を。
どんなに思っても、もうあの子は戻ってこないという事実を改めて実感してます。あの子を守ってあげられなかったのが悲しいです。

七花さん (20代女性)より

私が妊娠を継続させることを止めたのは、病気で飲んでいる薬が原因でした。

検査薬で妊娠が判明し、病院に行き検査を受けた結果『妊娠8週目』と。
そして先生に持病のことを話すと、その病気の科に回されました。

そこで聞いたのは、

・その病気の薬を飲んでいることによって、その子供が障害を持って生まれる確率が一般よりも高いということ。
・発作の時に子供に酸素が届かなくなり、それによって脳に障害が残るという危険を抱えているということ。

そう・・・・言われました。


子供ができて嬉しい反面、病気と薬が及ぼす子供への危険。不安。
妊娠なんてしていると思ってませんでしたから胎児にとって一番大切な時期に普通に薬を服用していました。

おろせる期間ギリギリまで悩み、出した答えが『中絶』。
つらかったです・・・・自分たちの快楽のせいで宿ってしまった命。
悔やんでも悔やみきれなくて・・・
泣いても泣いても・・・涙は枯れてくれなかったです。

本当なら私の体の中で守って、生まれてきたはずの命。
私が感じた痛みは私のじゃなくて、無理矢理に母体から出された赤ちゃんの痛みだったのかな、なんて・・・思ったりします。


最後に・・・
出来れば生んであげてください。
今あなたのおなかの中にいる子は、その子しか居ません。代わりなんて居ないんです。
もしその子をおろしてしまえば、二度と逢えません。

手術後の、2つの命が1つになってしまうあの喪失感。あなたには感じてほしくありません・・・・・・。